ポジティブ物書きの雑記帳

物書き、弥生肇のブログ

今日のネタはマグロ

本日も、Twitterで頂いたブログネタを消化しようと思います。
選んだネタはこれ! 

マグロ

ネタか!(何重の意味がこもった叫びだろうか)。
拾おうかどうか迷ったんですが、せっかく頂いたネタですし、美味しく拾わせて頂こうと思います。私も寿司ネタでマグロは大好きですし。ネタのご提供ありがとうございます。

というわけで、勢いでなにか書いてみます。


●マグロの雑学

全部、今ほどWikipedia等で調べて見つかったものなので、信憑性その他は適当なものだと思ってください。面白いなと思ったものを列記してみます。

(1) 「マグロ」の由来
目が大きくて黒い魚であることから「目黒」=「まぐろ」という説があるそうです。
他にも、保存する事が困難で常温下だとすぐ黒くなるから、まっくろ→まくろ→まぐろ。という説もあるとか。
超個人的な理由ですが、「目黒」が由来と言われて、この話が一気に長期記憶へと移行しました。今、目黒区民なもので……。なんか「マグロ」と「目黒」をかけたお祭とかないんですかね。秋刀魚も美味しいですけど。

(2)英名Tuna?
Tuna は、上位分類群のマグロ族 (Thunnini) 全般を指し、マグロだけでなくカツオ、ソウダガツオ(マルソウダ、ヒラソウダ)、スマなどを含むそうです。マグロとはなんとなくイコールじゃないと思いつつ、ぼんやりしか理解してませんでした。
余談ですが、私は以前、欧米人顧客を相手にする仕事をしてたんですが、一緒に寿司や海鮮物を食べにいくたび「これはなんだ?」と聞かれ、辞書で英語名を引きまくって説明せねばなりませんでした。大変だった。
もう一つ余談ですが、よく欧米人と寿司を食いにいってたのは決して寿司がうまいからではなく、①欧米人は魚を生で食べる文化が薄いから珍しがって喜ぶ、②インド系の顧客は宗教上牛肉や豚肉を食べられないことが多く、海産物だとタブーに引っかかることが少なかった、③食べる量を調節しやすい、④寿司はうまい。こんな感じの理由でした。やっぱり寿司はうまいです。

(3)かつては最下層の庶民の食べ物だった
Wikiからそのまんま引っ張ってきますが、

古事記万葉集に、「シビ」の名で記述あり。歴史の教科書なんかの貝塚の写真からわかるように、縄文時代から日本人はマグロを食ってました。
江戸の世相を記した随筆「慶長見聞集」ではこれを「しびと呼ぶ声の響、死日と聞えて不吉なり」とするなど、その扱いはいいものとはいえなかった

これは鮮度を保つ方法が無く、腐敗しやすいことが原因である。
かつては魚介類の鮮度を保つには、水槽で生かしたまま流通させる方法があったが、マグロの大きさではそれが不可能であった。また干魚として乾燥させる方法もあるが、マグロの場合は食べるに困るほど身が固くなる(カツオの場合は、乾燥させた上で熟成させ、鰹節として利用したが、マグロはその大きさから、そういった目的では使われなかった)。唯一の方法は塩漬にする事だが、マグロの場合は食味がかなり落ちたため、下魚とされ、最下層の庶民の食べ物だった。

とのことです。しかし、

江戸時代中期から調味料として醤油が普及した。これにより、マグロの身を醤油づけにするという新たな保存方法が生まれ、「ヅケ」と呼ばれ、握り寿司のネタとして使われ出した。

近代以降は冷蔵技術が進歩した事から、赤身の部分の生食が普及したが、戦前までは大衆魚であった。
北大路魯山人は「マグロそのものが下手物であって、一流の食通を満足させるものではない」と評していた。脂身の部分である「トロ」は特に腐敗しやすいことから猫もまたいで通る「猫またぎ」とも揶揄されるほどの不人気で、もっぱら缶詰などの加工用だった。

全然知りませんでした。戦前~戦後初期の世代の方々に、マグロについての認識をちょっと聞いてみたくなりました。
昨今の冷凍保存技術その他が、おいしいマグロ食を実現しているのですね。


●一人暮らしの味方「シーチキン」

茹でると鶏肉のような外観になり味が近いことから、「Sea Chicken」でシーチキン。米国で言われ始めたニックネームのようです。
日本では、はごろもフーズ登録商標、商品名のようですね。

一人暮らしの長い私ですが、シーチキン、要するにツナ缶を多用しています

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といっても、かなり横着な使い方なのですが。
例えば、袋ラーメンを作るじゃないですか。最後にどんぶりにツナ缶を一つ開けてぶち込むんです。「辛ラーメン」とか、すごく合います。
パスタを茹でて、ツナ缶ぶっ込んでキムチ入れて和えてごま油ぶっかけるだけで、美味しいパスタを食べられます。(こういう簡単レシピがいっぱい載った本が、最近は書店に行けばいっぱいありますよ。「残業後の一人ごはん」とか、「22時以降に帰宅してすぐ作れるごはん」とか、切ないタイトルの本ばっかりなんですが)
ツナ缶単体とお酒でもいけますね!

「料理全然しないんですよ~」なんて人をたまに見ますが、ツナ缶を活用すると、「料理をほとんどしない人」に進化することができます

 

というわけで、マグロについてとりとめなく書いてみました。
皆様の大きな目からも、何か一つでも鱗が落ちていれば幸いです(無理矢理関連づけた終わり方)。

Wikipedia、参考にさせて頂きました。

マグロ - Wikipedia

せっかくなので、ツナ缶でも貼ってみます。

今初めて知りましたが、「定期便」という買い方ができるのですね。

私がKDP作家を愛している理由

KDP(Kindle Direct Publishing)まわりの話題を集めてわかりやすく伝えてくれるデイジーさんのブログで、

"私がKDP作家を愛している理由"というタイトルで記事を書いてみたらどうかしら?

とあったので、便乗します。
や、この直前にTwitterで真逆の話題の炎上合戦があって、おとなげなく私も参加して焼死してしまったので、ちょっと水をかぶって心頭滅却するような気持ちになりたくて


私は、創作をしている人たちが好きです。
なぜって、なにも見せてくれない人に比べて、いろんな物を見せてくれるからです。
楽しいお話や苦しいお話であったりと、それ自体が私にとって娯楽たりえますし、同時になにかしら、その作品に著者の人柄が垣間見えて、その人のことを少しだけ知れた気がするからです。(「著作と著者の人間性は無縁」という話もあって、たまに著者本人からは想像もできないようなかけ離れた作品を書く方もおられますが、概ね、何かしら著者の持つものが滲み出るものが創作物だと感じます)

その中でもKDP、Kindleという場(私はKindle以外に、有償で販売する電子書籍媒体全般を含めます)を選んだ人たちは、下記するいくつかの点が他の人より強い、あるいは弱い。それだから/それなのにがんばっちゃってる人なんだろうなって思うから好きです。

(1)一人でなんでもできる/一人でやるしかなかった
個人出版は、私のやってるHybrid Libraryみたいな例を除けば、大抵が一人でまわしているものです。自分一人でゼロから本を出すところまでやる。
一人でいろいろやれる知識があるからやっちゃった。
あるいは、他に頼れる人がうまく見つからなくてやっちゃった。
上記の中庸のシチュエーションの人もいるかもですが、とにかくも、一人で、誰かになにかを届けようとしちゃってる人たちなんです。
私はそういう人、好きです。一人っ子だからかな。

(2)電子書籍で売ることを選んだ
上記(1)だけなら、紙で同人誌や個人出版をすることも含まれる。だから私はアマチュア作家さん全般基本的に好きですし、私自身紙の活動もしてます。
ですが、そこで電子書籍という選択をした人たちには、何らかの思うところ・感じるところがあるんだろうな、と。

☆すごい読書家で、家には紙の本がいっぱいで、電子書籍でしかなかなか買い足せない人は、電書にニーズがあるだろうと感じるかも知れません。こういう人は、得てして本好きでしょう。私も本、好きです。

☆また、「これからは電子書籍がはやるんだ!」と、なんらかの観点で電書の方が売れると考えて電書にしたのかも知れない。野心家タイプ。こういう人も、私は好きです。私もたぶん野心家です。獅子座ですし(関係ない?)

☆紙より電書が簡単そうだと考えた人……そういう人もいるかも知れません。そういう人はたぶん若い人に多いんじゃないかな。新しいもの好きな人かも。若い人が多いかもな。私は、若い人好きです(話題がズレてきている)。

とにかくも、電書を選ぶという理由の考えてみると、やっぱりいろいろ好きになれちゃうんです。
あ、でも、私も紙の本大好きなので。紙の本を出してる人は嫌いなんてことはもちろんありません。

(3)KDPって、どうやって売ってる?
KDPで出版してノーアクションでいると、ほとんどの場合は埋もれていきます。
せっかく作った作品は、多くの人に見てもらいたい。
だからそのために、Twitterやブログ、いろんなSNS等で作品や自己のアピールをする方が非常に多い。あるいは単に、そうやってWeb上で目立っていくのが好きなのかも。
いずれにせよ、(1)(2)に書いた理由と同様に、その人をいろいろな形で見せてくれる。そうやって語りかけてくる人は、なんとなく好きになります。

(4)もう一個の理由
……ここまで書いてきて、「じゃあFacebookなんかで、自分の旅行写真や恋人との写真、家族との楽しそうな写真をUpしてくる人は、自分を見せてくれるから好きにならないのか?」と自問してしまいました
その人柄を見せてくれるという意味では同じなんですが……創作物(+α)という形で己を見せてくる人とは、ちょっとだけ違うんだろうなと思うのです。

何が違うかって、見せてくる物の裏にある強さです。

創作物、特にKDPのような個人の創作物は、個人プレーです。その人だけで作ります。イラストや装幀を他の人がやろうと編集が入ろうと、著作は著者一人のものでしょう。
創作活動は孤独です。
その、孤独の活動、多くは単純な大変さに加えて、「これ、つまらないんじゃないの?」「誰が読むの?」「なんか恥ずかしいな」といったいろいろな葛藤を乗り越えて打ち克って、創作物をリリースしてくるんです。これは、強い気持ちがないとできません。

そうやっていろいろな物を見せてくれるところが、私はやっぱり好きなのです。
……苦手な内容だったら、苦手な人になっちゃうかもですけど苦笑。

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※写真は、2013年冬の「スヌーピー展」の小冊子より。好きなキーフレーズです。


"私がKDP作家を愛している理由"は、そんな感じです。
ところどころで言及したように、KDPにも電子書籍にも限りませんが。創作に関わる人全般、好きです。

私のことを知りたいと思ってくれた方がいたら、拙作を見てもらったら、なにか見えるかも知れませんよ。(失望・幻滅するリスクもあります!)

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