茶話会メモ /駆逐艦磯風の乗組員だった方のお話
太平洋戦争を真珠湾攻撃から大和の沖縄特攻まで駆け抜けた武勲艦「磯風」に乗られていた方にお話を伺う機会がありましたので、簡単なメモをブログに書き残しておこうと思います。
●どんなイベント?
艦これの第十七駆逐隊オンリー「司令、笑ってるうちにやめような」第二回(2017/7/2、呉にて)と併催の「茶話会」として、主催の方が企画し、事前希望者参加で7/1に行われました。
呉市役所の施設の一室を借りての本格的な会で、20~30人ほど参加していました。
乗組員の方に基本的にお話していただきつつ、多少質疑応答もあるかたちで約2時間以上、とても貴重な話を聞ける機会となりました。
●本題に入る前に――
配られたお茶とお菓子。艦これをやっている人なら反応せずにはいられないだろう、間宮羊羹です。
●本題メモ
イベント併催の記念講演として開催されたこと、乗組員の方のプライベートに関わる内容も多々あったことから、内容を多少ふんわりさせつつメモ書きに留めます。
どんなお話だったか詳しく知りたい方がいたら、私や参加者を見つけてこっそり聞いてください笑。本日7/2のイベント中ならいろいろ誰かに聞けるんじゃないでしょうか。
どんなお話だったか詳しく知りたい方がいたら、私や参加者を見つけてこっそり聞いてください笑。本日7/2のイベント中ならいろいろ誰かに聞けるんじゃないでしょうか。
というか、イベントに来場してください。そしたら主催や参加者みんな喜びます笑。ちかくには大和ミュージアムなどもあるのでどうですか。
以下、メモです。
1.海軍に入ったきっかけ~そして、今
もともと貧しい家で、兄夫婦の家業の手伝いをしていた。だが、ひょんなことで知り合った看護師の女性に遠路はるばる家まで訪ねてこられるという出来事があり、そんな人と一緒になる将来があるなら、今の家業よりもちゃんとした生活をさせてあげられる男にならねばと……深く考えずに海軍へ志願した。
それが今も一緒の奥様とのこと(お二人とも、現在96歳)。
こども、孫、ひ孫などご家族は38人になったとのことで、皆自分を大切にしてくれると、とても嬉しそうに、誇らしそうに語っておられた。
もともと貧しい家で、兄夫婦の家業の手伝いをしていた。だが、ひょんなことで知り合った看護師の女性に遠路はるばる家まで訪ねてこられるという出来事があり、そんな人と一緒になる将来があるなら、今の家業よりもちゃんとした生活をさせてあげられる男にならねばと……深く考えずに海軍へ志願した。
それが今も一緒の奥様とのこと(お二人とも、現在96歳)。
こども、孫、ひ孫などご家族は38人になったとのことで、皆自分を大切にしてくれると、とても嬉しそうに、誇らしそうに語っておられた。
2.海軍に入って
最初(開戦前の頃)は駆逐艦「浦波」に配属。とてもお世話になった先輩がいた。
浦波を離れてからその先輩のことはわからず名前しか知らなかったが、戦後50年頃に、慰霊祭で先輩のことを知る人と会い、先輩の親族と交流することができた。
最初(開戦前の頃)は駆逐艦「浦波」に配属。とてもお世話になった先輩がいた。
浦波を離れてからその先輩のことはわからず名前しか知らなかったが、戦後50年頃に、慰霊祭で先輩のことを知る人と会い、先輩の親族と交流することができた。
3.慰霊は自分の義務だと思っている
戦後は、自分が赴いた戦地を国内外問わず、ずっと慰霊(お参り)してまわっておられるとのこと。しかし96歳にもなると、慰霊の場で会っていた戦友らはほぼいなくなってしまい、最近は寂しい。
今も車を元気に運転、自分の足で歩いて日本や世界各地を訪れておられる模様。
戦後は、自分が赴いた戦地を国内外問わず、ずっと慰霊(お参り)してまわっておられるとのこと。しかし96歳にもなると、慰霊の場で会っていた戦友らはほぼいなくなってしまい、最近は寂しい。
今も車を元気に運転、自分の足で歩いて日本や世界各地を訪れておられる模様。
4.完熟バナナ
開戦前のまだほのぼのしていた頃、南方へ向かった際に、現地の人に自分たちの持ってるタバコと交換してもらったバナナがめちゃくちゃ甘かったとのこと。完熟バナナは、昨今のスーパーで入手するバナナとは別物の甘さ。
開戦前のまだほのぼのしていた頃、南方へ向かった際に、現地の人に自分たちの持ってるタバコと交換してもらったバナナがめちゃくちゃ甘かったとのこと。完熟バナナは、昨今のスーパーで入手するバナナとは別物の甘さ。
5.磯風~真珠湾攻撃
砲術学校等での勉強を経て、磯風へ配属。砲塔内の砲兵員となった。
真珠湾攻撃は、真冬に北方のとてつもなく寒いところへ訳も分からず向かわされ、そこに南雲機動部隊や十七駆他、参加艦艇が揃い、冬の大しけの航路を苦労して航海しながら真珠湾へ向かった。
赤城らから攻撃に向かって帰ってくる艦載機を目にしていた。
砲術学校等での勉強を経て、磯風へ配属。砲塔内の砲兵員となった。
真珠湾攻撃は、真冬に北方のとてつもなく寒いところへ訳も分からず向かわされ、そこに南雲機動部隊や十七駆他、参加艦艇が揃い、冬の大しけの航路を苦労して航海しながら真珠湾へ向かった。
赤城らから攻撃に向かって帰ってくる艦載機を目にしていた。
7.南方転戦~ガダルカナル
南方は地獄の暑さ。扇風機なんかあるわけない。
スコールのときは、たらいなどで必死に水を集めた。
戦闘時は砲塔内にいて、外の戦況は全然わからない。指示通りに砲塔を動かして撃つだけだった。
やがて昇進し、艦橋上部(?)の砲塔の照準指揮所(のようなところ?)の配置になると、敵の様子もなにもかも見えるようになった。
磯風が爆弾の直撃を受けて砲塔の一つがほとんどなくなったのを見ていた。
その後、明石に応急処置を受けて本国へ帰投。
南方は地獄の暑さ。扇風機なんかあるわけない。
スコールのときは、たらいなどで必死に水を集めた。
戦闘時は砲塔内にいて、外の戦況は全然わからない。指示通りに砲塔を動かして撃つだけだった。
やがて昇進し、艦橋上部(?)の砲塔の照準指揮所(のようなところ?)の配置になると、敵の様子もなにもかも見えるようになった。
磯風が爆弾の直撃を受けて砲塔の一つがほとんどなくなったのを見ていた。
その後、明石に応急処置を受けて本国へ帰投。
8.貴重な休みが
帰投して、数日間の休暇。温泉などへ行く者がいる中、自分は下士官になるための講習・試験を受けることになり、ほとんど休めなかった。
しかし下士官にあがることで、やっと妻にまとも生活させてあげられる給料になるのが嬉しかった(そもそもの海軍に入った目標だった)。
妻からの手紙は、呉に帰ったときしか受け取れなかった。帰ると山のように手紙が来ていて、同僚からは「どういうことだ!」と妬まれた。
帰投して、数日間の休暇。温泉などへ行く者がいる中、自分は下士官になるための講習・試験を受けることになり、ほとんど休めなかった。
しかし下士官にあがることで、やっと妻にまとも生活させてあげられる給料になるのが嬉しかった(そもそもの海軍に入った目標だった)。
妻からの手紙は、呉に帰ったときしか受け取れなかった。帰ると山のように手紙が来ていて、同僚からは「どういうことだ!」と妬まれた。
9.マリアナ沖海戦
大鳳を護衛していたが、ミッドウェーのときと同じく、やられたあとの救助に手を尽くすことくらいしかできなかった。
磯風が横づけするのを待てずに大鳳から海に飛び込んで逃げる人たちを海から助けたりした。
大鳳を護衛していたが、ミッドウェーのときと同じく、やられたあとの救助に手を尽くすことくらいしかできなかった。
磯風が横づけするのを待てずに大鳳から海に飛び込んで逃げる人たちを海から助けたりした。
他にもたくさんのお話がありましたが、こんなところで。
若い人たちにはぜひともよろしくお願いしたいと、多岐にわたる想いを聞かせていただきました。
貴重な機会をありがとうございました。